例会の報告

Meeting report

第1412回例会

2021年8月4日No.1387号

会長時間

会長 山田和弘

皆さん、こんにちは。本日は広島安佐RCとの合同例会、ガバナー公式訪問です。杉川ガバナー様、白築随行幹事様、山坂ガバナー補佐様、坪内補佐幹事様、本日は大変お忙しい中、合同例会に訪問下さいまして、ありがとうございます。
さて、8月6日が近づいて参りますが、当時私の父の妹  山田美恵子 当時13歳、市立広島第1高等女学校1年生で、木挽町あたり(平和公園のあたり)へ勤労奉仕で、 延焼防止の防火帯を造る為、1年生をはじめ679人(内1.2年生541人)の生徒・教職員が、建物疎開作業に動員されていました。そして原爆に合ってしまいました。女学校の生徒・教職員697名が亡くなりました。私の父は当時16歳長束で臨時教師として、被爆しました。母は11歳比治山小学校で、被爆しました。祖父は横川の製材工場で6mくらい吹き飛ばされ、被爆しました。その時、腰にガラス片が刺さり、一生そのままでした。祖父の弟は当時、産業奨励館内(原爆ドーム館内)にあった木材統制組合の事務局長だった為、館内で即死であった模様です。※戦時中は各会社で自由に仕事が出来ず、統制組合からの配給で仕事をしていた。
8月6日、祖母は寺町の自宅に居ましたが、火災で家の前の本川に逃れ、横川橋の橋脚で息絶えていました。祖父曰く、「横川橋の橋脚にいます。早く迎えに来てください。」と、夢枕に立ち知らせたそうです。そして、横川の河原で祖父と父で火葬したそうです。山田家では昭和20年、父の母と、妹と、叔父が亡くなりました。
ところで、原爆を積み込んだB29が広島の空に来た時は、空襲警報が鳴らなかったそうです。
広島城内にあった、約40坪ぐらいの司令部防空壕で、警報を鳴らす司令上官が、前夜の一晩中の夜通しの警報の為、翌早朝8月6日、幟町の官舎へ風呂に入りに偶然帰られた為に、警報を鳴らせなかったらしく、原爆炸裂後、司令上官は浴衣姿で血まみれになって防空壕へ来られたが、既に遅く、広島市は壊滅していました。当時そこで共に働いていた女子学生の方から、広島城内の防空壕で、当時のことを講演にて聞きました。地下室の為、室内は蒸し暑く、湿度は高く、べとつく感じです。不運とは、偶然が重なるもので、広島市は甚大な被害にあったと思われます。本日の会長時間でした。ありがとうございました。

ニコニコBOX

SMILE BOX

杉川聡ガバナー様 白築随行幹事様
お祝いを頂いております。
山坂ガバナー補佐様 坪内補佐幹事様
お祝いを頂いております。
正副会長幹事
杉川ガバナー様、白築随行幹事様、山坂ガバナー補佐様、坪内補佐幹事様、本日はご指導よろしくお願い致します。
信原弘会員 瀬川長良会員
杉川ガバナー、暑い中本日はありがとうございます。今日はご指導よろしくお願いします。
古谷幸一会員 小川嘉彦会員
杉川ガバナー様、本日はご指導よろしくお願いします。
伊藤 弘幸会員
今日から國政さんが広島陵北RCの一員となりました。皆さん宜しくお願いします。
國政秀一会員
本日入会させて頂きました。宜しくお願い致します。
当日計
52,000円
累計
215,000円